小顔がカッコイイ! 『絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたのか』 更科 功 (NHK出版新書)

小顔がカッコイイ!

美の基準は時代と共に移り変わるものです。人々が貧しい時代は豊満さが憧れとなり、飽食の時代には細い身体が賞賛されます。もちろん、多様性が声高に叫ばれる今の時代、好みは様々、”たで食う虫も好き好き”です。                    その中にあっても、”顔が大きい人がカッコイイ”と言う声は聞いたことがありません。誰も彼もが”顔小さい!”を褒め言葉とし、俳優たちに嬌声を浴びせかけます。

私たちの美意識が、すらりと足が長く顔が小さいという価値基準をまっすぐに追い求めているのは、いったいどうしてでしょうか?

人類の歴史

私たちの生物学的学名はホモ・サピエンスです。ホモ・サピエンスが30万年前に生まれたときは、ホモ・エレクトゥスやホモ・ハイデルベルゲンシスなどという他の人類も暮らしていました。しかし、ホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)が4万年前に絶滅してから、人類は私たち一種となり、唯一の人類としてこの地球上に存在しています。私たちホモサピエンスは、実に、25代目の人類で、700万年の間に生まれ絶滅していった24種の人類たちの末裔だということを、まずおさえておきましょう。(24種の人類たちがどのように進化し絶滅していったか、私たちホモ・サピエンスがなぜ生き延びて今を生きているのか、それを解き明かしてくれるのが、本書です。)

脳の進化ー大型化へ

700万年前に人類は直立二足歩行を始めました。そして250万年前になるとホモ属が現れて、人類は脳が大きくなりはじめます。(驚いたことに、450万年もの間、脳はほとんど大きくなりませんでした。)脳が大きくなるのは進化には違いないのですが、これがなかなかひと筋縄ではいきません。 脳はカロリーの消費が激しいので、大きな脳を持つことにより新たに得ることが出来る食料の量と、脳を維持するのに必要なカロリーとがたえず天秤にはかられていたのです。そして、150万年前、大きな脳を持つホモ属の人種が何種も現れるようになりました。ホモ属は上手に脳を大きくし、群れという社会活動をするのに必要な認知能力を高めて、生存を有利に進めていきました。その中でネアンデルタール人は脳の大型化をきわめ、人類史上最大の脳の持ち主になったのです。

さらなる脳の進化-小型化へ

4万年前に絶滅したネアンデルタール人が脳の大きさのピークで、我々ホモ・サピエンスの脳はそれよりも小さくなっています。ネアンデルタール人の脳は1550CC、1万年前までのホモ・サピエンスの脳は1450CCで、現在のホモ・サピエンスの脳は1350CCです。食糧事情は良くなっているわけですから、こんなに大きな脳は要らないと、進化が脳を小さくする方向に進んでいるのです。(ちなみに、190万年前の初期ホモ属のホモ・ハビリスは509CCでした。)

小顔がステキ

ここからは私見です。脳が小さくなれば、頭も小さくなり、顔も小さくなる。私たちはいつでも、時代の先を行く人たちに憧れます。私たちの美意識は、進化という合理的理由を裏付けとして、確固たる自信をもって、小顔を支持し続けるのです。                                                                               

(ちなみに、すらりと長い足も進化の結果として獲得した形質です。)

追記

本書は、あまりにも面白すぎて、私は、3回読み返すまでページをめくる手が止まりませんでした。その中でひとつ、強く心に残るフレーズがありました。

 つい私たちは、進化において「優れたものが勝ち残れる」と思ってしまう。でも、 実 際はそうではなくて、進化では「子どもを多く残したものが生き残る」のである。「優れたものが勝ち残る」ケースはただ一つだけだ。「優れていた」せいで「子どもを多く残せた」ケースだけなのだ。(p.114)

私は常々、「人間は動物であり、その至上命令は、種を維持し繁栄させることだ」と考えています。種として存続するための再生産は生き物の責務と思います。あらゆる”個人の自由” ”多様性”は、それを踏まえた上で、”豊かな社会を築き上げることに成功した人類だから許される贅沢”として、捕らえる必要があると思います。

本書から700万年に及ぶ人類の歴史を学び、さらにそれをさかのぼって、初めて生命の火がともされた時までの、想像を絶するまでの長い時間に思いを馳せるとき、私たちは人類の命を大事にし、その存続に努めなければならないと思うのです。