私も思い出した 『坂の途中の家』角田光代 (朝日出版社)

私も思い出した。世の中の仕組みの大事なことがいつの間にか決められていたことを

 

理紗子は、6週間後の刑事裁判の裁判員候補に選ばれたとの通知を手にする。2歳十ヶ月の娘を抱える自分が選ばれることはなかろうと、高をくくって出向くが、予想に反して(補充裁判員とはいえ)選ばれてしまい、そのまま法廷に向かうことになる。しかも、扱うのは30代専業主婦が引き起こした乳幼児の虐待死事件だった。裁判に通う内に、理沙子はどんどん被告と同じ思考に陥っていき、生き苦しくなっていき、もがき苦しむ。封印していたはずの自分の虐待行為の記憶があぶり出されてきて、あと一歩で自分もあの被告席に立っていたかもしれない、立つかもしれない現実を知る。

 

2004年、裁判員制度は、知らないうちに法決定されていた。毎日ニュースに目を通しているのに、気づかないうちに。

 ”こそこそと” ”なるたけ”気づかれないうちに” ”こっそり裏で” 話が進めたとしか思えなかった。種子法も水道民営化も、私たちが気づかないうちに決まってしまったが、それらよりもずっとずっと、はるかに国民の関心を呼び当然議論がわき上がる問題のはずなのに。

「日本という国は、こんな国なんだ。」あの時私は、そう思ったことを、私も思い出した。